お店への想い

南光台・黒松・旭ヶ丘・台原・鶴ケ谷エリア【鮨処いたがき】ストーリー

 

  • 鮨処いたがきの親方である私が寿司屋になった理由とは?
  • なぜ、鮨処いたがきを南光台・黒松・旭ヶ丘エリアに出すことになったのか?
  • ネタのこだわり
  • 魚の枯渇
  • 中国問題

 

 

鮨処いたがきの親方である私が寿司屋になった理由とは?

 

私は物心ついたときから自分で料理をしたいと思っていました。

 

こんなことを言うと母に怒られるのですが、実は母親の作る食事に満足できなかったんです(笑)。

 

 

だから、小学生3年生になったころから自分で台所に立つ機会が増えていきました。台所に立って包丁を握っているときは、私はとても心がワクワクしていました。その頃から料理を作る仕事って楽しそうだなって思っていたんです。

 

それから高校では商業高校に行ったので、大学に進学せずに販売会社に就職しました。

 

でも、板前になる夢は諦めきれませんでした。

 

 

販売会社に4年勤めた後、生協でアルバイトをしました。これがキッカケで肉屋で働くことができ、仕事として初めて包丁を握ることができました。

 

そこから2年が経ち、ある寿司屋チェーン店で働く機会に恵まれ、念願だった板前になることになりました。

 

 

しかし・・・、そこは私の理想とは違いました。

 

 

大企業のチェーン店(京樽)だったので、魚のおろし方や仕込み方の勉強はいっさいなく、工場から送られてくる食材をただ加工する(握る・巻く)といったような作業しかなかったのです。

 

自分の思い描いていた職人ではなかったんです。言い方は悪いですが、職人の仕事ではなく、ただの弁当屋の仕事でした。

 

私はただ料理ができればいいんじゃなくて、職人になりたいのに!と葛藤していました。

 

 

そんな仕事に失望していたとき、「塩竈の個人店を紹介してあげるよ!」と言ってくれた先輩がいました。その先輩は本当の職人だったので、私は「ホントですか!?是非お願いします!!」と喜んで、塩竈の個人店を紹介してもらうことにしました。

 

当時の私はチェーン店で店長職だったので、個人店で修業するとなれば、それなりの所得を捨てて一から修行に入ることになります。それには先の見えない何とも言えない不安がありました。

 

それにすでに私には子供がいて、妻にとっても転職は大きなリスクでした。

 

妻は自分たちの生活費や子供の将来の学費のことなど本当に不安だったと思います。でも妻は、私が夢を叶えるために背中を押してくれました。本当に妻には感謝しかありません。

 

 

塩竈での仕事は、自分にとってなんでも新鮮で、玉子を焼く・魚をおろす・接客、全てが自分の身になることなので楽しくてしかたなかったです。

 

カウンターデビューの日はとても緊張しましたが、それもすぐ慣れました。お客様と話すことも楽しく、やっぱり俺には職人が天職だ!と感じました。

 

 

 

なぜ、鮨処いたがきを南光台・黒松・旭ヶ丘エリアに出すことになったのか?

 

カウンターデビューから7年経ち、師匠より「そろそろ独立しなよ。」と突然の独立指示があり、本当に戸惑いました。

 

ですが、師匠に言われてしまったらもうやるしかありません。

 

 

そこからは、店舗探しやら転職やらで休む間もない激動の2年間を過ごしました。そしてやっと店舗出店地を見つけ、運営資金もないままに開店の運びになったのです。

 

 

じゃあ、どうして南光台・黒松・旭ヶ丘エリアを選んだのか?

 

 

実は最初は貸店舗を探していたんです。でも家賃が意外に高くて、運転資金も厳しかったので、ならば土地を買った方が自分の資産になると思ったんです。

 

そこでそのとき八百屋を営業している今の店の土地である南光台5丁目に目について、中学から慣れ親しんだ場所だし、いいなって思ったんです。

 

 

あと本当に正直に言うと、自分は最初、四条通に店を張れる腕はないと思っていました。だから少し引っ込んだこの場所がちょうどいいと思ったんです(笑)。

 

当時は、それだけ自信がなかったんですね。あの頃は謙虚だったな、とも思います(笑)

 

 

正直、お客さんには「なんでこんな南光台の中の住宅街のわかりにくいところに店出したの?」と言われることが多々あります。電話でお店の場所を尋ねられて説明しても「わかんないよー!」とちょっと怒られることもあります(笑)。

 

が、実はこんな理由があったのでした。

 

 

 

ネタのこだわり

 

開店当初、塩竈のネタを塩竈の値段で提供すれば間違いないと思っていました。

 

ですが、お品書きの値段だけで比較されてしまい、お客さんから高いと思われてしまっていました。そのせいでお客さんが来なかったんです。

 

 

実は、仙台と塩竈ってお寿司の値段が違うんです。

 

お鮨屋さんに行ってメニューを見ると、並・中・上・特上というランクがありますよね。アレが実は仙台と塩竈で違うんです。

 

 

例えば、塩竈の並ランクは仙台の中ランクと同じです。

 

それと同じで、塩竈の中ランクは仙台の上ランク、塩竈の上ランクは仙台の特上ランク、と表記上のランクは1段違うんですね。

 

だから、同じランクで比べる(塩竈の特上と仙台の特上で比べる)とネタは圧倒的に塩竈の方が高級なんだけど、それに伴って値段も高くなってしまいます。

 

 

普通は同じ特上だったら同じネタが出てくると思いますよね。私の開店当初もそう思われていたんです。だから仙台ベースのお鮨屋さんとお品書きの値段だけで比較されて高いと思われてしまっていました。

 

 

南光台・黒松・旭ヶ丘エリアに店を出すと決めたのは自分でした。だから仙台と比較されるのは仕方ありません。

 

 

でも、一度食べてさえもらえればわかってもらえると信じていました。

 

 

そして、3年目くらいから塩竈前の違いが認識され始めました。食べてもらってわかってもらえたんです。

 

まずは食べてもらえばわかってもらえる。改めてそう自信がついて、今では食べてもらいやすい値段を設定して、まずはあなたに食べてもらって、そして気にいってもらえたらあなたに長く通いつめられる鮨屋になれたらいいなと思っています。

 

 

 

マグロ

 

養殖物(日本企業)をメインに仕入れています。養殖物というとイメージが悪いかもしれませんが、安定供給で品質の徹底管理がされているし、年間を通して安心安全という大きなメリットがあります。

 

天然ものは天候の影響を受けやすく品質が安定しないので、本当に良いものがあるときだけ仕入れています。

 

 

その他のネタ

 

塩竈・自場の魚はもちろんのこと、仙台市場の魚も仕入れられるので、南は九州・北は北海道・日本海物も仕入れは積極的におこなっています。

 

 

その日のおすすめメニュー

 

寿司と刺身だけではなかなかやっていくのが難しいのですが、居酒屋メニューを取り入れるのは違うなと思っています。

 

だから、一般では食べられない魚をリーズナブルな値段で提供する。よそより安く、美味しくがモットーに。

 

一人前でも二人で食べられる量でお得感・ボリューム感を大切にしています。

 

 

 

魚の枯渇

 

店を出して以来ずっと、近海の水温が地球温暖化によって上昇していて、魚の生態系に影響している現実があります。

 

私は海専門の研究化とかではないので情報は新聞やニュースでしか知りえないが、やはり魚を扱う仕事柄、一般の人たちよりもシビアに危惧しています。

 

 

あるニュースを見ていたときに、水温が1℃上昇すると魚にとっては10℃上昇するに等しいと書いてありました。地球温暖化によって海が魚にとって住みにくくなっているのが現状です。

 

私たちも、もし気温が10℃上昇したら、夏なんて暑くてやってられないですよね。熱中症で毎日何人倒れるか想像すらできません。

 

 

今、魚たちはそんな海の中で生きてるんです。

 

 

地上でも米や野菜・果物の生産が北へ北へと移動しています。魚も北上していて房総の魚が宮城県沖で見られるようになっています。

 

このまま水温上昇が続くと、これまでのような魚の旬が無くなってしまうんじゃないか?本当にそう危惧しています。

 

 

よくお客様との会話の中で「今、旬の魚は何?」と聞かれるんですが、20年前の開店当初と比べると明らかに変わってきています。

 

 

日本人の魚好きは私が言うまでもないですが、今まで当たり前に食べられていた魚・当たり前に獲れていた魚が「獲れない」「いない」が増えてくることになるのが怖いんです。

 

 

だから、
『今、食べられる魚をしっかり味わいたい・味わってもらいたい』
と切実に思っています。

 

食べられるうちに食べてほしい。
特に今の子供たちに食べさせたいんです。

 

 

もう今の子供たちは、今私たちが当たり前に食べれている魚を食べることができなくなるかもしれないんです。マグロとか高級かもしれない。子供には早いって思うかもしれない。でも、食べられなくなってからじゃ遅いんです。

 

 

ある生命保険会社の調査で、アジ・イワシ・サバ・サンマを食べて味の違いを分かった世代は、

 

  • 10代・20代:ほぼわからず
  • 30代:少しわかる
  • 40代:なんとなくわかる
  • 50代以上:わかる
  • (※:数字は忘れました(笑))

 

だそうです。

 

魚の味をわかっているのは50代以上で、若い世代は青魚の味がわからないんです。これは島国日本人としてどうなんだろう?食育は今のままでいいのだろうか?

 

もっと食育に力を入れたいし、寿司屋として食育にも貢献したいと思ってるところです。

 

 

 

中国問題

 

水温で魚が減っている問題に輪をかけて中国人の魚に対する進出もすさまじいことになっています。

 

中国人がもっと魚の旨さに気付いてされでも食べるようになれば、ますます日本人が魚を食べるのが困難になっていくと思います。

 

 

回転ずしの海外進出が魚の枯渇をますます進める原因になるでしょう。

 

数の原理で魚を食べ進めたら・・・、と思うと不安です。

 

 

だからこそ、若い人にもっと寿司を食べてほしい。

 

これが今の私の願いです。

 

是非、当店にお越しいただければ嬉しく思います。−店主

 

 

 

おしながき

 

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